シンガポールの閑静な住宅地の一角に、美しい芝生が広がる日本人墓地公園があります。先日、在シンガポール日本国大使館がシンガポール日本人会(以下、日本人会)、JETROシンガポール及びクレアシンガポール事務所に初めて呼びかけ、職員有志による清掃ボランティアが行われました。筆者を含む合計39名が参加し、シンガポールの日本人社会や日・シンガポール関係の歴史を学ぶ貴重な機会になりましたので、ここで簡単にご紹介します。
1891年、日本人が経営するゴム農園の一角であった現在地に日本人墓地が創設されました。実業家や船乗り、軍人・軍属など、主に明治時代から終戦直後までにシンガポールで亡くなった日本人が祀られています。二葉亭四迷など著名人の大きな石碑の傍で、苦しい生活の中、はるばるシンガポールまで働きに来て、帰国が叶わぬまま生涯を閉じた日本人女性たちの小さな、高さ30cmほどの墓標も数多く点在しています。
戦後、日本人墓地は英国による植民地政府に接収され、荒廃していきます。1952年、サンフランシスコ平和条約が発効し日本総領事館が再開すると、館員の努力によって細々と手入れが始まり、やがて在留邦人と共同で墓地管理が行われることになりました。そのため日本人共同墓地管理委員会が設けられ、1957年にはその運営母体として現在の日本人会の前身である日本人クラブが結成されます。日本人会は1915年に初めて発足しましたが、終戦とともに中断していました。日本人墓地は、当地の日本人社会にとって絆を繋ぐ要のような存在だったのです。
1969年に、日本人墓地の返還申請が最高裁判所からようやく認められました。
しかし、国土が限られたシンガポールでは1973年に新たな埋葬が政府によって禁止され、さらに都市開発政策により各地で墓地の接収が進められます。
1987年にはとうとう日本人墓地にも接収が通告されました。これに対しても、日本人社会は官民総力を挙げて政府に陳情し、誰でも親しめる公園として保存することを条件に何とか接収を免れたのです。
日本からの企業進出が加速し、日本人会が運営する日本人学校の児童数が急増する中、新校舎用地を政府から借り受けるため、1979年に日本人墓地公園北側の未利用土地を政府へ返還することとなりました。日本人学校も日本人墓地との深い関わり合いの中で現在があるのです。児童生徒は先人を偲び、現在でも毎年墓地公園の清掃活動を行っています。日本人会では、毎年その発足記念日である3月14日近くに慰霊祭を開催しています。併せて、日本人会史蹟史料部による墓地公園内の案内会も実施しています。清掃ボランティアの活動中、南国の陽光が降り注ぐ園内を、なんと結婚したばかりのシンガポール人新郎新婦が訪れ記念写真の撮影を始めたのには驚きました。清掃活動後には、これまでに築かれた両国の友好関係と今日の平和に対する感謝が込み上がり、今後もこの活動を継続していくということで、大使館、日本人会及びJETROとの意見が一致しました。次回以降はクレアシンガポール事務所がその事務局を担っていきます。
緑の木々と鮮やかな芝生が美しいシンガポールの日本人墓地公園を、皆さんも訪れてみませんか。
(住所)825B Chuan Hoe Avenue, Singapore 549854
(参考リンク) http://www.jas.org.sg/link/related/link_cemetery_ja.html
(シンガポール事務所調査役 山谷)