皆様、孫文という歴史上の人物をご存じでしょうか?孫文(1866年-1925年)は、中国の革命家・政治家で、清朝を打倒し、アジア初の共和制国家を樹立した辛亥革命で中心的な役割を果たしたことから、「国父」等と称され、中華圏を中心に広く尊敬を集めている偉人です。
中華圏等では、敬愛の念を込めて、「孫中山」(中山は号)と呼ばれており、中国等で「中山路」、「中山公園」といった名称を見られた方もおられるかもしれませんが、これは孫文に由来するものです。革命運動を展開する中で、孫文は、東南アジア、欧米、そして日本等、様々な国や地域で活動を行ってきたため、世界各地にその功績を讃える施設や記念碑が数多く存在しています。
中でもシンガポールは、交通の要衝であることに加え、革命を支持する華僑・華人が多数居住していたことなどから、東南アジアにおける中核的な「革命基地」となり、また、孫文が戦いに敗れ、苦境に立たされた時も、温かく迎えて入れてくれる重要な場所でもありました。
このような孫文とシンガポールの関係を象徴するのが、シンガポール孫中山南洋記念館・晩晴園です。元々は、孫文の有力な支持者であった張永福が母親のために購入したものでしたが、後に孫文のシンガポール滞在時の住居として使用されることになり、孫文のシンガポール訪問9回のうち、4回は晩晴園に宿泊した記録が確認できるとのことです。
その後、晩晴園は所有者が転々とし、荒れ果てた時期もありましたが、1951年からシンガポール中華総商会が管理を始め、1966年に孫中山歴史文物展覧館として開館し、1994年に政府から歴史古跡の認定を受けた後、1996年には孫中山南洋記念館と改称され、現在に至ります。
ノスタルジックな面影を漂わすコロニアル様式の晩晴園には、孫文や辛亥革命に関する展示だけでなく、シンガポールの華僑・華人の歴史や文化、経済等も紹介されていますので、ご興味のある方は一度お訪ねください。
なお、孫文に関連する施設の間では、交流が活発に行われており、例えば、今年9月には、熊本県荒尾市の宮崎兄弟資料館(※)がシンガポールを訪問し、晩晴園との共同報告書発刊記念イベントを行いました。荒尾市では、孫文とのつながりを起点として、インバウンドや教育交流等の促進を図りたいとのことでしたので、今後の展開が注目されます。
※孫文の支援者であった宮崎滔天をはじめとする宮崎兄弟を顕彰する施設。敷地内にある宮崎兄弟の生家は、孫文をかくまった場所としても有名。
シンガポール事務所 調査役 池上