シンガポールにはプラナカン建築と呼ばれる間口が狭く奥に細長い2~3階建ての、京都の町屋のような建物が随所にあります。
プラナカンとは、15~18世紀頃、中国南部から商売のためにマレーシアやシンガポールにやってきた中国系の男性が、現地の女性と結婚し誕生した子孫たちのことをいいます。彼らはシンガポールで中国やマレー、ヨーロッパの文化を融合させた独自の生活スタイルを築いていきました。
プラナカン建築の装飾にはプラナカンタイルと呼ばれる、花や果物、鳥などのデザインに、ピンクや黄色、コバルトブルーなど多彩に色付けされたレリーフ調のタイルが使われています。1枚の大きさは約15cm四方。パステルカラーの建物とマッチしたその美しさに記念撮影をする観光客もいるほどです。
実はこのプラナカンタイル、日本製が多いことで知られています。 元々はイギリスで作られたマジョリカタイルに原点があると言われています。シンガポールにはイギリスなどヨーロッパから多くのマジョリカタイルが輸入され、プラナカンたちはそれらを建物や家具に使用してきました。ところが、 第一次世界大戦後、イギリスをはじめヨーロッパでのタイル生産が落ち込み、代わって日本製のタイルが輸入されるようになりました。
この頃、日本ではイギリスのタイル製法を研究、確立させた和製マジョリカタイルと呼ばれるタイルが製造されていました。色付けは筆で一色ずつ釉薬を載せ、デザインには凹凸があり、製造には大変な技術と手間がかかったそうです。最盛期には10数社のタイルメーカーがあったとのこと。この和製マジョリカタイルは当初、国内の洋館や旅館、銭湯で使用されていましたが、大正末期から昭和の初めにかけ、ちょうどシンガポールでプラナカン文化が華やいでいたころ、東南アジアへ大量に輸出されるようになりました。
日本ではほとんど見ることができなくなった和製マジョリカタイルがプラナカンタイルとして今もシンガポールのプラナカン建築の装飾として残ってい ます。老朽化で解体された建物で使用されていたタイルはコレクターズアイ テムとして、日本円に換算して1枚数千円からレアなものは数万円の値が付いています。
プラナカンタイルを専門に扱うアンティークショップのオーナーに聞いたと ころ、現在、シンガポールのプラナカン建築に使用されているタイルの多くは日本製のもので、この店舗で販売されているアンティークのプラナカンタイルもほとんどが日本製とのこと。また昨年11月、シンガポールのオン教育大臣が河野外務大臣を表敬訪問した際、記念品として額に入れたプラナカンタイルを手渡したとのことでした。
最近、このタイルをお土産に買って帰る日本人が増えているとのことです。 額に入れて飾ったり、洗面台やキッチンの装飾として使う人もいるとのこと。 100年の時を経て里帰りする日本製のタイルたち。遠く東南アジアの文化を支えた日本の製品に、再び注目が集まることを期待しています。
シンガポール事務所 所長補佐 堀部